小学校のいじめと命の大切さ

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私の大切な大切な友人が、流産をしてしまいました。

私もとても辛いです。

 

私は、オーストラリアの医療通訳時代に、

現地滞在している10~30代の女性たちの妊娠、流産、中絶に

たくさん関わってきました。

 

妊娠がメディカルセンターで発覚し、生む選択をする女性もいれば、

そのまま中絶手術の日取りをきめ、一緒にセンターへいき、

はじめから終わりまで、手術の説明から最後のケアまで側について、

通訳をするのです。

 

ご本人の不安も、疑問も、すべて私を通して伝えられるので、

同じ悲しみを、私も毎回感じていました。

 

大切な友人を自己や自ら命を断つという形で

なくしたこともあり(メルマガにも書いています)、

命や生きることについては、深く深く、考えてきました。

メルマガには「生きる意味」についても、綴っています。

 

たとえ、この世に生まれてくることができない

小さな小さな命でも、

たとえ数年間のわずかな命でも、そこには、

必ずその命の役割があるって信じています。

 

一人ひとりの命、心がいかに大切か、私は小学校のころの事件が

きっかけで、考えるようになったのかもしれません。

ひどいいじめにあったのです。

 

小学校6年生のころ、私を含めて5人の女の子で仲良くしていました。

クラスのリーダー的グループ。

目立っていました。

そのグループに一人、リーダー的存在の子がいて、

ある日突然、その子が私を仲間はずれにしだしました。

 

どうも、自分の好きな男の子が、私に優しくしているようにみえて

気に入らなかったからだったようです。

ある日急に、私以外の4人の友人たちが、

いつもは一緒に遊ぶ休み時間も、いつもは一緒に着替える体育の授業の準備も、

教室の移動時間も、私から逃げるようになりました。

 

私は、はじめは、なんだろう?

という戸惑いで、休み時間が始まる直前には、授業の後片付けを

早めにし、とにかくおいていかれないように、

逃げる彼女たちに着いていくようにしていました。

 

でも、その仲間はずれは、うわぐつにいたずらをされたり、

言葉や態度の暴力と、誰がみてもわかるようなひどいいじめに

エスカレートしていきました。

数ヶ月続いたのでしょうか。

 

私は、家に帰るとすぐに毛布にくるまって、泣いていたのを覚えています。

そういった記憶って、鮮明に覚えているものですよね。

それでも、歯を食いしばって、毎日休まずに学校にいっていました。

母も気づいていたことだと思います。

 

もしかすると休まずに学校に通えたのは、母が知らないうちに

家庭で愛を注いでくれていたからかもしれません。

私は、仲のいい友達がいなくなりました。

ですが、そのひどいいじめに気づいた、今までは遊ぶこともなかった

友人たちが、ひとり、ひとりと、私を誘ってくれるようになりました。

 

そして、それが気に入らなかったそのクラスのいじめリーダーの女の子は、

さらに、自分の仲間を増やしていこうと頑張っていました。

彼女にはじかれるのが怖くて、ついていく女の子たち。

私に同情して、かばってくれる女の子たち。

 

とうとう、小学校6年生のクラスが、真っ二つに別れてしまったのです。

そこで、当時の担任の先生が、

クラス全員の女の子たちを集めて、輪になって話し合う時間をつくってくれました。

私は、全く自分に罪があるように思えなかったことと、

応援してくれた女の子たちがいたので、とても心強かったのを覚えています。

 

表面的には、その後まるくおさまったようにはみえましたが、

結局、小学校の卒業の日まで、私は彼女たちの輪の中にはいれてもらえず、

中学校で同じクラスにならないことを祈るばかりでした。

 

びくびくして中学校入学を迎え、無事に誰とも同じクラスにならなかったことで、

安堵の気持ちで、新しい中学校生活をスタートできたことを覚えています。

 

小学校時代のトラウマがありましたから、

目立ちたくない。

人に傷つけることをしたくない。

そんな思いで、その後ずっと長く過ごしていた気がします。

 

自分のことより、人のこと。

そんな小学校時代〜20代でした。

中学校で転校をしたときも、とにかく目立つのが嫌でしたが、

謙虚に過ごしていると、たくさんの友人がとてもよくしてくれるようになりました。

 

私は、10代も20代も、たくさん挫折と失敗があったなと思いますし、

いじめにあったことは、その後長くトラウマになりましたが、

それがあったことが、「人の心を大切にしたい」といつもいつも

意識して過ごすきっかけになってくれていたんだと、今だからわかります。

 

ある程度の年齢までは、自己犠牲が強かったのですが、

経験をつんでいくと、相手を尊重しながら、自分の意見を伝える方法が

身に付いてきます。

グロ育の「コミュニケーション」のキーワードでも大切にしている

WIN-WINの信頼関係づくりです。

 

折角今、命をいただき、生かされている私たち。

生きたくても、生きられない日はいつかきます。

そして、寿命は自分で決められないし、

生きたいと思っても、生きられない人も、世界にはいる。

 

だから、命を大切に、大切に、大切に、

自分を大切に、相手を大切にしたいです。

 

Love
Sayuri