(写真は、OZの小学校準備クラスにて。
ノア1人違うけれど、だれも気にしません。)
幼稚園に忘れ物をしたときのエピソード。
次男ノアの水筒を、水筒を学校に忘れてきた
兄がもっていってしまい、
でかける直前に気づいたため、お水のペットボトルをもたせることに。
こういう場合、みなさんだったら先生になんと説明しますか?
幼稚園の方針として、基本的に皆と同じものをもったり、
同じように準備したりというのは、
集団生活で必要なことではあるし、
物事を複雑にしないために、大切なことだとも思います。
ですが、何かハプニングがあり、皆と同じようにできないこと、
多々あると思います。
準備していたのに玄関に忘れてしまったり、
母の体調が悪く準備ができなかったり、
連絡の行き違いなどなど・・・
幼稚園の先生のお話をお伺いしていると、
園外を歩くため、水筒だけを持たせていきたい。
ペットボトルでは持って歩けないとのこと。
なんとかしてほしいという様子でした。
もうどうしようもないということでしょうか?
とも聞かれました。
大変申し訳ない気持ちでもいっぱいだったのですが・・・
なんだかおかしな会話なような気もしませんか?
ん???
忘れ物がないようにしっかり準備することは大前提ですが、
母が一生懸命忘れ物をないように駆け回り、
忘れ物をフォローするのが当然という流れでの会話には
疑問を感じます。
顔が硬直している先生にお伝えしました。
「先生、バックをもたせているので、
本人がきちんと考えて対処できますので、
バックを利用してもっていくなど、本人に決めさせてもいいですか?」
と。
幼稚園、年長さんという学年にも、
4月生まれの子どもや3月生まれの子どもがいて、
それぞれ本当に個性も、できることも違います。
ノアは、自宅でも、朝から晩までの一日の流れで
私がしなくては生活できないことは食事をつくることくらいです。
最近は、足し算や引き算も何万という単位をできるようになってきて、
かけ算の次の割り算を兄と一緒に楽しくしているので
幼稚園の一日は、彼にとって余裕があり、
楽しい時間の反面、少しエネルギーをもてあまし、
物足りなさもあるように感じます。
担任の先生には、人のお手伝いをしたり、
新しいことにチャレンジができるように
課題に取り組めるようにしてほしいということを
お伝えしていましたので理解してくださっていると思います。
ノアのポテンシャルを最大限伸ばしてあげるためには、
自分で考えて、課題を解決できるような環境に身を置いてあげたいと
心から感じるばかり。
少なくとも、皆同じものをもっていて、
皆同じことをしていてという中で、
1人違うものを選んだり、違うことをすることが
恥ずかしいとか、悪いことだと、
子供たちが感じてしまうような環境はどうかな。
また、自由とわがままとは違います。
自由は責任がともないます。
よく、個性的だからと子どもを自由にさせている様子も
みられますが、それはやっぱり責任のない自由です。
本当の自由とは、自分が考えた上で、
これは正しいとか、これなら失敗しても自分で対処できそうとか、
危険がなさそうとか、きちんと考えて自分で責任がとれるから
選べる自由だと思います。
子どもに選ばせる。
信じて、少しずつ権限を与えてあげる。
そういう、1人ひとりの子どもの今の時点でのポテンシャルを見抜き、
個別に声をかけたり、システムの中でも
臨機応変に対応できる先生の器、求められているように感じます。
自由と責任については、「人間力」というキーワードで
グローバル育児®︎300セミナーの中で多く触れています。
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Sayuri