【生きるということ】3.11の大津波で命を救い、世界の100人に選ばれた日本人医師からのメッセージ〜Podcast Vol76 :Doctor who survived the Tohoku Tsunami and was chosen as “TIME 100! The Most Influential People”

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3.11の東日本大震災で、南三陸町の志津川病院でご自身も被災されながら、患者の命を救い、TIMES誌「世界でもっとも影響力がある100人」に選ばれた医師菅野武先生。最後の患者がヘリで救助されるまで医療行為を続けた。

Dr Kanno survived the Tohoku 3.11 Tsunami and saved and lost many patients at the same time. He got chosen as the Most Influential 100 People by TIME in 2011! On Podcast episode Vol 76, he has shared very valuable messages and wisdom on how to prepare for the imminent disaster such as earthquakes and tsunami and how to live strongly and compassionately through this unprecedented time.

皆さんこんにちは!Sayuriです。

2021年最後の月、12月に入りましたね!皆さんお元気ですか?

また改めて今年をゆっくり振り返る時間を作れたらと思っていますが、今年もたくさんのみなさんとの交流をする機会がありました!

コンサルのセッションでは、感動の涙と大きな気づきとともにブレイクスルーをされた方、また英語のセッションでは、一気に英語力がアップされた方など、それぞれのストーリーを一緒に体験させてもらいました!

直接交流する機会があった方には少しだけお話ししましたが、実は私、先月はハプニングが起こりました。実はある日突然、朝起きたら、ひどい腰の痛みで歩けない、動けない。

大分ゆっくり歩けるようになりました(涙)ゆっくり回復に向かっています!

痛み止めと麻酔を打って、仕事はオンラインに切り替えたり、近くまできていただいたりと、皆さんのご協力のおかげでなんとか仕事を休むことなくできてはいました。

ですが、日常生活に支障が出ていました。

息子たちに支えてもらうながら整形外科でレントゲンやMRIを撮ったり、整体で見てもらったりと、痛みに耐えながら移動し、原因を探る1ヶ月。

明らかに身体が不自由な私を見て、タクシーの運転手さんたちに優しい声をかけてもらったり、皆さんから「ゆっくり、ゆっくり〜」と声をかけてもらいながら、いろんなことをスピードダウンする1ヶ月間でした。

原因がわかるまで、痛みが和らぐまで、長い不安な1ヶ月間を過ごしました。

障害が残るかもしれないと覚悟しながら、社会の仕組みがおかしい!と感じた時には、行政や企業に声をあげて、それぞれの責任者とお話しする機会もたくさんありました。

どんな立場の人も社会で孤立しないように、優しいコミュニケーションがとれる社会が必要だな〜と改めて感じました。

また落ち着いた頃にゆっくりとストーリーをシェアする機会があればと思います。身体が思うように動かないと、ここ最近日本で続いている地震が起こるたびに、不安も感じるものです。今回お迎えするゲスト、素晴らしい日本人医師の菅野武さんからのメッセージが心に沁みます。

76回目のエピソードでは、

🎧Podcast Vol76【生きるということ】
3.11の大津波で命を救い、世界の100人に選ばれた日本人医師からのメッセージ

というテーマで、

東北大学病院の医師菅野武先生をゲストにお迎えして、貴重な体験談とメッセージをお届けいたします。

大変ご多忙な中、診察の合間に白衣のままインタビューをさせていただくことができました。

大津波を目の前に死を覚悟し、目の前で救うことができなかった命や災害対策について10年間以上考え続け、大変なご経験をされた菅野先生の言葉には重みがあります。

毎日真剣に命に向き合っていらっしゃることが、画面を通して私をまっすぐ見つめながらお話ししてくださるその眼差しから伝わってきました。

人としてもとても魅力的な方で、もっとお話を聞いていたいと、お話に引き込まれました。

2回のエピソードに渡ってお届けする菅野先生からのメッセージが、皆さんにとっての行動のヒントや希望となりますように。以下のようなテーマについて、Podcastでお話しいただきました。

Q1)東日本大震災(3.11)当日の様子と心境を教えていただけますか?

A1)
✔︎ 宮城県南三陸町「公立志津川病院」で内科医として勤務していた3.11の当日について

✔︎ 大震災を過去に体験した地域として、過去の津波の高さの記録2.6mの倍以上の6mという想定で、防災訓練をしていた(実際に体験したのは、15メートルの津波)

✔︎ 病室も災害時に備えて、3~4階に設置されていた(建物は5階建)

✔︎ 3.11当日は、体験したことのないような大きな揺れを感じた

✔︎ 三陸沖が震源地らしいとわかった

✔︎ 揺れが収まった後に病室を見にいった時には、みんな怪我もなく無事だった

✔︎ マニュアルには「3階以上に逃げろ!」と書かれていたが、体験したことのない揺れから直感で、最上階の会議室(5F)に患者さんや逃げてくる人たちを誘導していた

✔︎ 患者さんを5階に運びきれないうちに、津波がきた

✔︎ 揺れから40分、防災無線の警報からは20~30分も経っていない時間で津波がきた

✔︎ あっという間に「水の壁」が押し寄せ、病院を貫いていった

✔︎ 波は4階の天井まで覆うほどの15メートルの津波だった

✔︎ 自分たちが避難していた5階にいても足元が濡れるくらいまで水位が上がってきた

✔︎ あっという間の出来事で、運びきれなかった患者さんや、患者さんを運んでいたスタッフも津波にのまれて亡くなった

✔︎ 病院にいた3分の2くらいの方々が亡くなってしまった

✔︎ 声も出ず茫然自失となり、自分は死ぬんだと直感的に感じた

✔︎ 看護師たちは、「津波にのまれても、家族が自分の亡骸を見つけられるように」と、お互いの体や患者の体にマジックで名前を書きあった

✔︎ 菅野先生ご自身は、日頃は手が汚れるので結婚指輪をしていないが、死を覚悟した時に、お財布から指輪を取り出してはめた

✔︎ 「もうダメだ」という時間が30分くらい続いた

✔︎ 幸い、それ以上津波が高くならず、生き残ることができた

✔︎ 生存者を探しに、津波が少し引いた時に、5階から4階に降りていった
(この行動が正しかったかはわからない)

✔︎ 15メートルの津波がもう一度きていたら、自分は人を助けたことで死んでいたことになる

✔︎ 自分が潰れるほど、命を投げ打ったり、自己犠牲するのは危うい行動

✔︎ 結果的には、そのタイミングでは10人ほど、生き残っていた患者がいた
(カーテンレールに捕まって震えている患者、床ずれのマット毎浮き上がった患者など・・・)

✔︎ 医療物資、電気、毛布、水も食料も何もないまま一晩夜を明かし、ヘリが救助に来たのは、翌日

✔︎ 一回ではヘリで運びきれないため、3日間かかった

※菅野先生は、すべての人が救助されるまでそこに残り、できる限りの医療行為を続けたそうです。

✔︎ 実際は、4階で生き残っていた10名のうち7名は、救助が間に合わず目の前で亡くなってしまった
(身体が濡れて低体温になったり、津波を吸い込み呼吸状態が悪くなったことなどが原因)

✔︎ 垂直避難の備えが大切で、避難先にちょっとした物資を置いておくことが生死の分かれ目になる 

✔︎ 菅野さんが一番最後に救助された数日後、仙台での奥様が長男をご出産!

✔︎ お子様の誕生に励まされ、南三陸町に再び戻る

✔︎ 17000人の南三陸町の人口のうち、1000人が亡くなり、10000人が住む場所を失った

✔︎ 1ヶ月間寝袋で避難所生活しながら「災害急性期活動」を行う

✔︎「仮設診療所を再開できたのを見届け、4月17日に仙台へ戻った

✔︎その三日後に、TIMES誌が選ぶ「世界でもっとも影響力のある100人」に選出された連絡を受ける

Q2) Time誌が選ぶ「世界で最も影響力がる100人」として、世界からどのような取材や声がありましたか?

A2)
✔︎ 大変な時期に、出席する予定のなかったNYでのリセプションパーティーに参加すると決めた理由
✔︎ リセプションパーティーに行って、世界に伝えてきた2つのこと
✔︎ どんな声かけを、現地の取材陣からされたのか
✔︎ 日本として、どのような「パブリックメッセージ」を発信しなくてはならなかったのか
✔︎ 助けを求める、声を上げる重要性
✔︎ 「リスクコミュニケーション」の基本

Q3)10年が経過した今の心境を教えてください。

Q4)菅野先生が、震災から学んだことはどのようなことだったと感じますか?

A3〜A4)

✔︎ 「伝える大切さ」を10年前には感じていた
✔︎ 10年経った今は「どのように体験を残していけばいいか」ということを考えている
✔︎ 災害時に、医学研究として災害時に「出血性の胃潰瘍」がものすごく増えた!
✔︎ 人間にストレスを与えて潰瘍をつくらせる実験は倫理的にできないので、証明できていなかった。
✔︎「災害時の精神ストレスというのが、潰瘍を増やす」と世界で初めて証明された。
✔︎ これが、大学院で研究をやっているときにまとめた論文。
✔︎ これが生かされ、熊本の震災などの支援の時に、はじめから胃薬を持っていくという風にシフト。
(当時は災害時は怪我の対応がメインだったのが、災害医療の前進に寄与している。)

Q5)現在のお仕事について教えてください。

✔︎ 現在は、医療従事者としては、東北大学病院の総合地域医療教育支援部の中で、医者だけではなく、行政、保健師、看護師、一般の事務局など、災害におけるヘルスケア全体を横断的に学んで、自分たちが次の困難にどのように関わっていけるかという「次へのソリューション」を展開していきたいと取り組んでいます。

✔︎ 被災者としては、今まで20000人を超える方々に、被災の経験と悩みながら生きてきたことについてお話しさせていただく機会(講演)を設けさせていただいていて、「命の大切さを伝えること」「苦しい時の考えかた」などをこれからも子供達に続けていきたい。

✔︎ その師匠は、「日野原重明先生」!日野原先生から声をかけていただき、講演会をしたことがあった。

✔︎ 日野原先生が、医者としてではなく人生の先輩として、「命のあり方」について、バトンを次世代に渡し続けていたんだと知って、菅野先生もそのような活動をしていけたらと思うように。

✔︎ 「生きるとは?」「自己肯定感を育むためには?」「本当に苦しい時には?」どうしたらいいの?

安達様に今回も立会っていただきました。

後半のエピソードでは

相手の気持ちを配慮した「声のかけ方」や「コミュニケーション」など、非常時の言葉の使い方について、ハッと気づきがあるような大変貴重なアドバイスをいただきました。

また、災害対策として何を準備したらいいか、菅野先生にしかできないアドバイスもいただきました。

これからの時代を私たちが生きる上で大切なメッセージから、次回も何かヒントが見つかりますように。

前半だけでも40分に渡る長いエピソードではありますが、大切な人と全編を聞いていただけたら嬉しいです。

Q) 今回のエピソードでは、どのようなことを感じましたか?

Love and peace
Sayuri